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映画「あん」徳江さんの手紙

这是电影《澄沙之味》中德江婆婆(树木希林)送给名为“铜锣之春”的铜锣烧小店店长的一封信,书信的内容很是感动,便将它记录在此处。

店長さん、そのもの「ドラ春」はどうでしょう。 ひょっとしたら、店長さん元気なくされているんではないですか。 あんを炊いてる時の私は、いつも小豆の言葉に耳をすましていました。それは、あずきが見てきた雨の日や晴れの日を、想像することです。どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、旅の話を聞いてあげること。そう、聞くんです。

店长先生 店里的情况怎么样。 我很担心你会因此失去精神。 当我在做豆馅时,总会侧耳倾听豆子的低语,想象着红豆经历的雨天、晴天,又是怎样的风将红豆带到了这里,倾听,它们诉说旅途中的故事。

この世にあるものは全て言葉を持っていると私は信じています。日差しや風に対してでさえ、耳を澄ますことができるのではないかと思うのです。 そのせいでしょうか、昨夜は、柊の垣根を越えてやってくる風を、店長に声を掛けたほうがいいって言ってるように、感じられたのです。

我认为世上的一切都有着自己的故事。即使是日光和微风,也可以听到它们的故事。 可能是这个缘故,昨夜,微风越过围着刺桂的篱笆,告诉我,应该和你联系一下为好。

店長さん、こちらに非はないつもりで生きていても、世間の無理解に押し潰されてしまうことがあります。知恵を働かさなければいけないときもあります。そうしたことも伝えるべきでした。

店长先生,我们想要和平地生活在世上,但有时仍会被这个社会的愚昧所伤害。有时候我们必须用自己的智慧。我应该早些把这些话告诉你。

店長さんはいずれ、店長さんらしいアイディアでご自分のどら焼きを完成させる人だと思います。どうぞ、ご自分の道を歩まれてください。店長さんには、それら、きっとできます。

店长先生,我相信某一天,你会做出属于自己的铜锣烧,请按照自己选择的路走下去吧。店长先生一定可以做到。

(また、店長さんへの録音メッセージ、最後の一部分)

ね、店長さん、私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても私たちは、私たちには、生きる意味があるのよ。

店长,我们的出生,是为了亲眼见识这个世界,去倾听这个世界, 所以,就算没有成为什么,我们啊,在我们身上,都有活下去的意义。